働きすぎ改革と仕事の意義
昨今「働き方改革」という言葉をよく聞くようになった。
プレミアムフライデーをはじめ、在宅ワーク&週休3日など、
労働者に心のゆとりと”消費”のタイミングを供給する流れに社会はなってきた。
だけども日本人は勤勉な人種。おじさんの会社も古い考えが蔓延る。
その結果今月は。。。
まったく心のゆとりもない!
むしろ”働きすぎ改革”を推進してしまってる!
※全然ブログ書けませんでした
サービス残業はあたりまえ、始発帰り3時間睡眠、下着を買い込み会社宿泊なんでもセット。
身体までも”おじさん”だったら今頃若いおねーちゃんと逃避行してるだろう。
10月の今日までで既に300時間以上の労働。まったく楽しい限りですね。
突然語りだしたいのだが、おじさん(ワタシ)の昔からの理念で、
仕事への向き合い方に対して2種類の人間に分けられると考える。
Aくん「クライアントさまとそのお客様が喜んでくれることが誉れ。自分の頑張りが報われれば報酬は後からでも良い」
Bくん「まずは前提条件と環境が大事。いただく報酬の中で出来ることまでやります。あくまで仕事はお金をつくる手段」
どちらも否定するわけではないが私自身はAくんタイプだ。
少し情緒的で承認欲求も強い方であるため、どちらかといえば真性ではなく”Bくんみたいに割り切れないAくん”だ。
Bくんタイプも仕事以外にやらなきゃいけない家庭のことや、趣味などやりたいことを重視しているので素敵だ。
またそれから職階によっても考えが変わる。
下っ端クラスだとAくんBくんどちらの働き方をしても得られるものを得られない痛手は本人にしかない。
だがAくんBくんを部下に持つリーダークラスだと彼らの生産性を考えないと、
プロジェクトシートが赤字になる可能性もある。そうして自身やメンバーの賞与も減る。
クライアントにオーダーされたこと以上を仕事してしまうAくんにブレーキをかける。
クライアントにオーダーされたことの必要最低限しか仕事しないBくんのモチベーションをあげる。
その二人をうまくコントロールしながら与えられたミッションをクリアし、さらに高みを目指す。
大人気漫画でも言われているがリーダークラスはその経験則から考えることが多く責任がのる。
まさに今自身のチームには、野心にあふれた主観的能動的な比較的年齢層の若いAくんタイプと
スキルがありながら必要最低限のパフォーマンスを発揮する客観的なBくんタイプが混在している。
深夜残業したり、休日にクライアントに同行してお手伝いをしているAくんタイプのおじさんをみて、
Bくんから「からだ大丈夫?無理していない?」と心配されつつ嘲笑されている。
ふとした時に見るBくんのSNSはキラキラしていて眩しいこともあるが、
「俺の代わりにもっと”消費側”に回ってくれ」とも思うので妬ましい気持ちは生まれない。
でもやっぱりライフワークバランスをうまく取れる人は羨ましい。
それでも Aくんタイプの仕事を続けていると色んな人に顔を見せることになり、
付き合う人が多くなる。自然と仕事に巻き込める人も多くなってくる。
人それぞれその仕事にかける熱量の違いはあれども皆同じ方向に向かった人が集まる。
人の感情に触れる機会が多くなると大きいミッションを達成したときに得られる達成感は大きい。
今回忙殺されていたプロジェクトでは涙腺が熱くなるほどの達成感を得られた。
昔参加したどこか企業のプロジェクトレポート発表会でこんなことを聞いたことがある。
「みなさんも味わったことあると思いますが、苦しくなるようなたいへんな仕事も
そのあとのメンバーとの酒の場を考えると頑張れますよね。」
その達成感を知っているひとは何にも代え難い素晴らしい体験を知っている。
仕事によって得た報酬で”消費”した物品・体験をSNSでシェアするよりも
仕事によって得た達成感をお酒の場でメンバーとシェアしようぜ
Bくんにはこう言ってあげたい。
あくまで仕事への向き合い方の違いの話なので否定ではない。
ただ”お金で買えない価値がある”そのことを知ってもらいたい。
え?